平成4年 5月16日 午前3時過ぎ。 ヒマシに 弱り変わり果ててく親父を、毎晩 随時 見張り続けているお袋が、寝室の2階で 起きていた私の名を 強く叫んだ。
お袋の声が響いた その時間に、私がグースカ『寝ていた』のではなく、シッカリ『起きていた』のは …
数週間前あたりから、『死』という『不安』に苛まれていたというか 『予感』が、私の頭に棲み憑いておってね … まともに寝れぬ夜が ずっと続いていたからだ。
急いで 親父の部屋に入ると、ベッドから 畳の上へと 転げ落ち、傍の 箪笥の横で 俯せたまま動かずにいる ジャージ姿の親父がいた …
5月とはいえ、登米の朝方は まだまだ寒い。
冷え切って 微動だにしない親父を抱え上げ、ベッドへと戻し 仰向けに寝かせ、慌てて 電気毛布と分厚い布団をかけてやると、「かはぁ…」と、吸ったのか 吐いたのか判らぬ息を ひとつした親父。
午前3時の前に、親父の確認をしたのが 午前0時くらいだったと言うお袋 …
チェックした その0時 直後に 転げてしまったのか、それとも 発見した3時 直前に 落ちてしまったのか … どちらかにもよるし どちらでもないかもしれんが、
一体全体 どれくらいのあいだ 親父は凍えてたままだったのか … 知る由もない。
お袋に「ずっと傍に居ながら、ずっと声をかけ続けてやってくれ」と頼んだあと、シャワーを浴び、身支度を始める … 乱れ打つ鼓動が 睡魔を たたき散らす。
台所で 湯を沸かしたりしてた 午前4時、親父の部屋から「誠。 … お父さん、息 しなくなった」と、お袋の 冷静 かつ 神妙な 声が。
消えたのか 残っているのか 判断がつかない、親父の 生気と意識 …
瘦せこけ、顔も体も すべて真っ白に映る そんな親父の、
骨だけみたいな腕から 脈を採ってみたり、
半開きの口や 鼻孔に 手をかざしてみたり、
瞼を開いて 瞳孔をうかがってみたり、
心臓のあたりに 耳をすましてみたり …
のち、
親父の部屋にて、
ケータイから 『119』 を 繋いだ。
、、、
私は かねてから 親父には、逝くのであれば 家で往生してもらいたいと 願っていた。
親父と 死にざまや死生観の話などは これっぽっちもした事はなかったが、自分勝手ながら、
最期が来るのならば、長年 暮らした 自分の家で 逝くのが、彼にとって 一番の幸せなのではなかろうか、と。
、、、
親父が逝ってから … どうにも やる気がせず ペンさえ握ってなかったのが、登米に還ってきてから 書き記し続けている 日記だ。
日記 とはいっても、その日の天気や 出荷内容や 体調や 出来事などを、簡単にメモしておく程度の ササイなものなのだがね … なんか とんと すっかり 書く気を失っておった。
、、、
毎日 自問自答し続けている。
はたして親父は ちゃんと満足したままに 最期を迎えられたのであろうか … はたして私は いくらかでも満足してもらえたままに 最期を看取ることができたのであろうか … とか、いろいろね。
その答えは、もちろん聞けず仕舞いだし、私が死んだ後も 永遠に 分からないままであろう。
、、、
そんなこんなしてるうちに
またもや『新年』が、勝手に『お迎え』に来てしまった。
… いい機会やもしれん。
日記という
止まった時間を 動かそう。
停めた文字を 刻みこもう。
親父が居た頃に 戻ろう。
たかが日記だが
前へと 行こう。