ひとてま

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

、、、

 

 

ゆかいな事など コレッポッチもない毎日であって、その日暮らしの 一日の中で、唯一の憩いといえば、夜(夕方)の 独り晩酌であってね。

もともと 酒は強い方ではないワタシは(亡き父は下戸であった)加齢も相まって、缶ビールをば 数本も呑めば、一日の〆に 充分 事足りてしまう。

 

缶のプルトップを引き、そのまま口を付け、ゆっくりと呑む。

その日の気分で選んだ 映像作品を観ながらだったり、風に揺さぶられる木々の 枝や葉音を聞きながらだったり … 冷えた缶を持ち、さらに呑む。

 

缶の直呑みってのは どうにもヤサグレてる感じもしなくはないが、独り 黙って 静かに呑むだけであるからして、かまわんよね。

 

 

 

 

で、

ついこないだ、たまたま 台所まわりの清掃をしておってね、その際 昔 買いあさったコップたちが目にとまり、洗いまくってあげたんだけど、、

そのついでに、なんとも久方ぶりに そのコップたちのひとつに、ビールを注いで 呑んでみたくなってね …

 

そしたら、

!? !? !?

なんだ、これは …

毎夜呑んでる 馴染みの缶ビールなのに、いつもより美味い。

同じ缶ビールなのに、コップに注いだ方が 美味く感じる。

なぜだ、なぜ こうも違う …

ま。確かに あえて注げば、そのソソラレる音や・白と琥珀の 無二な見栄えやら、シズル的効果が生まれてるやもしれんし、外気に触れることが ビールにとって大切なのかしら、などと。

実際 分からん … 分からんから 分かろうとして 考えてたら、呑むペースが速くなってしまったりして。

 

 

 

 

やがて、トロトロと 酔いが廻り始めたあたり、なんとなく気づいたのだが、たぶん …

『ひとてま』のおかげ ではなかろうか。

缶ビールでも・瓶ビールでも・生のサーバーでも、

コップや・グラスや・ジョッキに 注ぐという『ひとてま』それだけで、俄然 美味くなってしまうのではないか、と。

お手紙でも・手料理でも・贈り物も・野菜のパッケージも、『ひとてま』が 大事なように、ね。

 

今宵も 寂しき手酌酒ではあるが、『ひとてま』という魔法で、せめて ビールぐらいは 美味しく吞もうかね。